ちいさな虎さん

赤ちゃんがハイハイしている姿は、かわいい。

「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉があるが、息子がハイハイをしていたとき、私は「好きなだけハイハイをして、一日でも長くこのかわいい姿を見せておくれ」という気持ちだった。

歩くどころか、いまはすっかり走りまわっている息子であるが、押し入れを整理していて、ハイハイをしていたころの洋服を見つけると、当時を思い出して、きゅんっとなる。

ハイハイ期の愛らしさを堪能するべく、そのころはよく、虎の着ぐるみのようなカバーオールやロンパースを着せていた。

赤ちゃんをつれていると、見知らぬひとに声をかけられることが多い。
「この時期がいちばんよねえ」などと話しかけてくるのは、たいてい、おばちゃんだったが、息子が虎の着ぐるみ姿のときには、おっちゃんの率があがった。

もちろん、おっちゃんは息子を見て、こう言うのである。

「おっ、阪神タイガースやな」

息子の新ネタ

最近、息子の一押しのボケは「穴に落ちる」である。

溝などがあると、はまらずにはいられない。
そして、両手をさしだして、こちらに言う。

「おちたよー、たしけてー、たしけてー」

しかたないので、助けに行く。

「うんとこしょ、どっこいしょ、とうとう、トトくん、抜けました」

余裕のあるときにはこれくらいつきあって、両手を持って、引っこ抜いてあげる。
面倒くさいときには「すっぽーん、はい、抜けた抜けた」ですませる。

たまに、溝でもなんでもないただの地面でも、はまる。

「たしけてー、あなだったー、あな、おちちゃったー」

本当に、こういうの、どこでおぼえてくるのか……。

五十年後の世界

五十年後のことを考える。
西暦2062年。
そんな年代、SF小説に出てくる近未来社会みたいだ。

息子、五十二歳である。
そのとき、世界はどうなっているだろう?
そのころにも、彼はこの国にいるのか。

・グローバリゼーション、フラット化はますます進むだろう。

・国内出張と同じような感覚で東アジアを行き来したり、中国やインドに働きに行くひとも増えるんじゃないかなあと思う。

・もしかしたら、少子高齢化対策として、移民の受け入れをしているかもしれない。

・それにともなって、国籍の違う者同士の結婚も増えるだろう。

・そもそも、結婚という制度は、まだ機能しているのだろうか。

・温暖化は進んでいるのか。近未来といえば、日本には雪が降らなくなり、常夏の国になっているイメージだが。

・なんだかんだ言って、紙の本は廃れちゃって、きっと、電子書籍が主流になっているのだろうなあ。

・いまより五十年前の多くのひとが、まさか五十年後にはほとんどのひとが携帯電話というものを持っているのが当たり前の社会になるなんて考えもしなかったように、いまはまだ影も形もないような「なにか」を、五十年後にはみんな当然のように使っているのだろう。

・個人レベルでの遺伝子解析も血液検査みたいに普通に行われるようになり、これまでは知らずにすんだような情報がどんどん明かされてしまう世のなかになっているのを想像すると、薄ら寒い気持ちになるのは古い時代の人間の感覚だろうか。

・五十年くらいでは、宇宙はまだ遠いか。

・細分化、価値観の多様化、その反動として宗教的コミュニティの台頭。

・税システムの世界規模での是正。

・そして、世界規模での社会保障への流れ。

・第三次世界大戦が勃発していない、とは言い切れない。

・強力な磁気嵐が起きて、文明がリセットされているかも。

・資本主義は行き詰まり、貨幣の価値が暴落、それに変わるものが出てくる。

最後のひとつが、最近、私の考えているテーマだったりするのだが、まあ、それはおいといて。

そんな五十年後であるが、自分は八十四歳だ。
医療技術の進歩を考えれば、生きている可能性も高そうではある。
だが、五十二歳ともなれば、母親を看取っていてもおかしくはない。

なにが「未来社会を生きる五十二歳の男」にとって幸せか、なんて、私にはわからない。

私には「子供の将来のために」と自信満々で押しつけることのできる考えや価値観なんてものはない。

息子の人生については、本人が考えるしかないことだ。
もし、できることがあるとすれば、学ぶ方法を伝え、自分で考えるための力を引き出すことくらいだろうか。

これは息子に対してだけでなく、子供たちに向けて小説を書くときもおなじかもしれない。

C’est la vie

子育てというものに対する自分のスタンスを一言であらわすと、こんな感じだ。

「たとえ親の育て方が悪かったとしても、きみの人生はきみのものなんだから、自分でなんとかするしかないよ」

イヤイヤ期の対応策

なにを言っても「いやだ!」と答える二歳児に、こちらの思い通りの行動をとらせるにはどうすればいいでしょう?

これが論理パズルであれば「『いやだ!』と言って、と頼む」とか答えればいい。

けれども、現実の生活においては実に様々なシチュエーションに遭遇するので、あの手この手で対応している。

・あまのじゃく戦法

「ごはん、残さずに食べて」
「いーやーだ!」
「じゃあ、食べないで。いらないんだったら、食べちゃおうかな」
「だーめー! たべるー」
とうまくいくときもあれば

「くつした、はいて」
「いーやーだ!」
「じゃあ、くつした、はかないで」
「いーやーだ!」
「はかないのがいやなんだったら、くつした、はくんじゃないの?」
「いーやーだ!」
と、平行線をたどることもある。

・聞く耳もたない

「はみがき、するよー」
「いーやーだ!」
「だめー、いやでもしまーす」

・意思を尊重する

「トイレ、行こうか」
「いーやーだ!」
「いやなのね。わかった。行きたくなったら言うんだよ」

「おねつ、はかるよ」
「いや! じぶんで!」
「いいよ、じゃ、自分でして」

「そろそろ、おふろ、あがるよ」
「いーやーだ!」
「じゃ、もうちょっと入ってようか」

・いやと答えないような質問をする

「おかたづけ、して」
「いーやーだ!」
「ブロック、ないないしないと、捨てちゃうよ」
「いーやーだ!」
「それじゃ、ブロック、おかたづけして」
「いーやーだ!」
「クッキー、食べる?」
「いーや……………はあ~い!」
「あれ? いーやーだ、じゃないの?」
「くっき、たべる!」
「それじゃ、おかたづけしてから、クッキー食べるひと~?」
「はあ~い!」

「もうちょっとしたら、おうち、帰るよ」
「いーやーだ!」
「まだ、遊びたいの? 遊びたいひと~?」
「はーい!」
「あともう少し遊んでから、おうち、帰るひと~?」
「はーい!」

・いやだと言わせながら、やる

「パンツ、はいて」
「いーやーだ!」
「いやだ?」
「いやだ!」
「いや、いや、いやだ~?」
「いや、いや、いやだ~!」
「はい、いやいやいや~で、足あげて」
「いやいやいや~」(と声にあわせて、パンツに足を通す)

「ほらほら、止まってないで、ちゃんと階段おりて」
「いーやーだ!」
「じゃあ、いやだいやだ言いながら、おりようか。いち、に、いやだ」
「いやだ、いやだ」(とリズムにあわせて、階段をおりる)

いまのところ、息子は本当に反抗したいというより、ただ「いや!」と言ってみたいだけのときが多いようだ。
うまくいったときには、心のなかで「口ではいやだいやだと言いながらも、しょせんは二歳児よのう」とつぶやくのであった。

夜のお出かけ

大学時代の友達と、十数年ぶりに飲むことになった。
入学してすぐに意気投合したひとで、家に泊めてもらったり、手料理をごちそうになったりと、散々世話になっておきながら、卒業後はまったく音信不通だったのだが、共通の友達のおかげで、再び巡り逢うことができた。

土曜の夜、息子とダンナを残して、いそいそと外出の用意をする。
くつをはいていると、息子がやって来た。

「かあちゃん、どこいくの?」
「梅田で、お友達とごはん食べてくるよ」
「ととくんも、いきたい」
「トトくんもいっしょに行きたいのかあ」
「いっしょに、いく」
「今日はトトくんはおるすばん。おうちで、ダディさんとごはん食べてね」
「かあちゃん、いかないでー」
「行かないで欲しいのかあ」
「さみしいよう」
「そうだねえ、さみしいねえ」
「いかないでー。さみしい」
「だいじょうぶ。トトくんがねんねして、起きたときには、また帰って来るから」
「さみしいよう。かあちゃん、しゅき」
「ありがと。かあちゃんも、トトくんのこと好き好き大好き」

玄関で、ひしと抱きしめ合うふたり。

そんなやりとりをダンナが苦笑しながら見ている。
「はいはい、わかったから、もう行きなよ」
「それじゃ、よろしくね」
「うん、気をつけて。楽しんでおいで」

息子は悲しそうな顔をするが、泣きはしない。
「行ってくるね。ダディさんに優しくしてあげてね」
そう言い残して、笑顔で手を振って、出かける。

愛情深い母親ならば、さみしがる子供をおいてまで、飲みに行きたいとは思わないのかもしれない。
けれども、こういう経験によって、以下のようなメッセージを伝えることができるのはないかと考えたりする。

・友達っていいものだよ。
・友達と会えるのは楽しいね。
・きみの母親にも、自分の人生というものがあるのだよ。
・きみは心にどんな感情を持とうとも自由だよ。
・好きなひとがそばにいないと、さみしいね。
・さみしいと素直に口に出して言うことは、はずかしいことじゃないよ。
・きみの父親は、信頼できる人物だよ。
・きみのことも、信じているよ。
・帰って来るという約束は、ちゃんと守るよ。
・たとえ母親がそばにいなくても、世界が終わるわけじゃないよ。
・離れていても、好き好き大好きだよ。

息子がどれだけのことを受け止めているのかはわからないが、少なくとも最後のひとつは伝わっているから、彼は泣かずに見送ってくれるのではないかなと思っている。