連載WEB小説『ぼくの嘘』が更新されています

講談社「YA! ENTERTAINMENT」のサイトにて連載中の『ぼくの嘘』第十七話がupされています。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/ya-enter/novels/#uso

私自身がYAといわれる年齢だった頃、本好きの女の子には「山田詠美派」と「吉本ばなな派」があったように思う。
で、私は両者とも愛読していたのだけれど、どちらかというと、山田詠美氏の言葉の使い方が好きだった。
思春期には、ちょっと悪っぽいものに惹かれるというか、山田詠美氏の文学的な素地を感じさせる硬派な文体のなかに卑俗なスラングが混ざっているのが、たまらなくcoolに思えたのだ。

そんなわけで、笹川くんは「ネットスラングを多用する痛いキャラ」になりました。

スラングというのは、うまく使うと効果的である反面、劣化しやすい言葉でもあり、諸刃の剣なのですが、WEB連載なことだし、あえて挑戦してみました。

前々から「常識的に考えて」という言いまわしは入れたいと思いつつ、意外と使いどころが難しかったのですが、ついに書けたのが今回の読みどころのひとつです。

連載も残すところ、あと七話となりましたが、つづきをお楽しみに!

冬の日のできごと

子供の手は、つめたい。

「ととくんのお手て、つめたいねえ」

そう言いながら、私はひんやりとしたちいさな手を、自分の手で包みこむ。
ちなみに、寒いときに子供の手足がつめたくなるのは、毛細血管を閉じて、体の熱を逃がさないようにする体温調整のためらしい。
そうわかっていても、心配になり、あたためてあげたくなるものである。

ふだんはつめたい子供の手が、あたたかいとき。
それは、眠くなった証拠である。
寝るまえに手足があたたかくなるのは、毛細血管を広げることで、熱を放出して、脳の温度をさげ、クールダウンするためだろう。

たいてい、つめたい息子の手を、私があたためる。
しかし、あるとき、眠くなった息子の手はあたたかく、私の手のほうがつめたいということがあった。

私の手にふれた途端、息子はとてもショックを受け、驚いた表情を浮かべた。
息子は心のなかで「いつもはあたたかいかあちゃんの手が、つめたい! どうしよう! どうしよう!」と考えをめぐらせたのだろう。
私の手をにぎったまま、走り出した。

「おいでー」

連れて行かれたのは、ストーブのまえである。
息子は、私の手をストーブのまえにかざして、あたためたのだ。

これが、この冬いちばんの思い出である。

テレビなし育児

うちには、テレビがない。
子供の教育に悪いからテレビを見せないという方針があるわけではなく、テレビのない家に、息子がうまれてきたのだ。

もともとはケーブルテレビに加入して、ミステリチャンネルの『名探偵モンク』とか『CSI:科学捜査班』とか、カートゥーンネットワークの『ピンキー&ブレイン』とか『X-MENエボリューション』とか楽しく見ていて、アニマルプラネットやディスカバリーチャンネルにも好きな番組がいっぱいあったし、普段からCNNをつけっぱなしで、どっぷりテレビ生活だった。
しかし、仕事に追われていた時期に「こうなると、もう、テレビを見ている時間をなくすしかない」と思い立ち、ケーブルを解約した。
そして、テレビを見なくなると、この邪魔な箱いらんな……ということになり、処分してしまったのだった。

そんなわけで、うまれたときからテレビのない生活をしている息子は、祖父母の家でテレビを見たとき、ふしぎそうな顔をして、裏側をのぞきこむという行動に出たので、「こういうべたな反応を本当にするのだなあ」と面白かった。

いまのところ、テレビがないことは子育てをする上で、メリットのほうが多いような気がしている。

・言葉がしっかりと発達する
テレビがないという話をすると「ああ、だから、ととくんはしっかりと言葉が使えるんだね」と言われて、驚いたことがある。
こちらとしては、テレビという刺激がない分、息子が知ることのできる言葉も少なくなってしまうのではないだろうか、と少し心配もあったのだ。
しかし、乳児期の発達においては「一方的に情報を与えるだけのテレビではコミュニケーション能力が育まれない」という話を聞いて、たしかにそれは言えるかもと納得した。
なんでも、日本小児科学会というところが「二歳以下の子どもにはテレビ・ビデオを長時間見せないようにしましょう。内容や見方によらず、長時間視聴児は言語発達が遅れる危険性が高まります」と勧告を出しているらしい。

・子供と接する時間が増える
おなじく子育て中のひとからは「家事をするときに大変でしょう?」と言われた。
たいてい、母親が夕飯の支度をするあいだ、子供は『いないいないばあっ!』などの幼児番組を見ているものらしい。
うちは、昼間は息子が保育園に通っていることもあり、せっかくいっしょにいられる限られた時間なのにひとりでテレビを見せているなんて「もったいない」という気がしてしまう。だから、料理などをするときも、息子とは話をしたり、二度手間になろうともお手伝いをしてもらうほうがうれしい。
なので、テレビがなくても、特に育児が大変だとか、苦になるという感じはない。

・情報過多から子供を守る
震災のあとは「テレビがなくて正解だよ。ちいさい子供にあんな衝撃的な映像を見たらトラウマになる」という意見をもらったこともある。
これはまさに、おとなでもそうだった。私はたまに市民ホールにおいてあるテレビで被災地の報道を目にしていたのだが、あまりにも壮絶な映像は直視するのはつらく、被害にあった方々の心痛を想像すると耐えきれず、ずっと見続けるのは無理だと思った。
まわりにも「阪神大震災の経験がフラッシュバックするからニュースを見ることができない」というひとがいたり、一年がたったいまでも被災地の友達などは「震災追悼の話題が多く、テレビを見るのが苦痛」だと言っていたりしていて、その気持ちはよくわかる。
目をそらすのは作家としてはどうなのかとも思うが、情報が多いからといって良い作品が書けるわけでもない。

・暴力シーンの影響を受けずにすむ
これは、親のエゴというか、こちらの都合なのだが、乱暴な子供になってしまうと育てにくい。
テレビでアニメキャラが「あんぱーんち」と言ってなぐってたり、戦隊ヒーローたちで武器を使って戦っているのを見ると、子供はまねしたくなるものである。
戦いの物語やヒーローごっこを否定するわけではない。
しかし、低年齢のうちは、ストーリーを追うことができず、ただ、視覚的に暴力を吸収してしまうので、危険だと思うのだ。
物語の構造やキャラクター配置(ヒーローと悪役)を理解できるくらいの年齢になって、虚構をそれとして楽しめるくらいまで知能が発達していれば、問題はないだろう。
子供が親のひざの上で抱かれているあいだは、刺激の強いテレビよりも、絵本を読み聞かせて、豊かな物語を体験させてあげたい。
テレビの影響がどれだけあるのかはわからないが、暴力シーンにさらされていないおかげで、息子は「おだやか」で「優しい」ので、つきあいやすい。
(このあたり、男親であるダンナとは意見の分かれるところで、男の子は「強さ」を持たせたほうが、集団社会でうまく生き抜いていけるという考えもある。だが、私は単純な暴力ではない「強さ」を息子には教えたい)

私の妹は「テレビがないと子供が共通の話題についていけないかも」と心配してくれた。
だが、一昔前はテレビの力は絶大だったかもしれないが、最近では多チャンネル化も進み、テレビによる同時代性というか、「時代の共有」「お茶の間の共通体験」という側面は薄れて、それほどまで「共通の話題」として作用していないように思うのだ。
そのときテレビで放映されているのを見なくても、たいていのものはネットであとからいくらでも知ることができる。いつでもアクセス可能なコンテンツでなければ、いまの時代、話題にはならないだろう。
それに、テレビ番組の話題についていけないのなら「それってどういうのなの?」と聞いて、友達に教えてもらえばいい。知らないことであっても、話というのはふくらませていけるものだ。

ふだんは仕事が忙しく、息抜きには読書をするという生活では、テレビは必要ない。
テレビがなくても、ニュースはラジオで聞けるし、まったく不都合は感じない。
息子も、絵本を読んだり、お話をしてあげるので、満足しているようだ。
なので、当分、テレビなし生活をつづけるつもりである。

しかし、いつか、息子がテレビを見たいと言い出したときには、頭ごなしに「ダメ!」と禁止するのではなく、聞く耳を持って、交渉に応じようと思っている。

今日こそお仕事がんばるよ

保育園の帰り道、ベビーカーを押しながら、息子と話す。

「ととくんが、ほいくえん、いるとき、かあちゃん、なにしてた?」
「おうちで、お仕事してたよ」
「いっぱい?」
「うっ……。いや、いっぱいは、できなかった……」
「ちょっとだけ?」
「うん、ちょっとしか、できなかったの……。明日は、もっと、お仕事いっぱいできるようにがんばるよ」
「つかれてー」
「そうだね、疲れるほど、仕事しなきゃね……」

なんで、こんな真綿で首を絞められるような会話を息子とせねばならんのだ。
いや、自分でも、もっといっぱい原稿を書かないと……ってことはわかっているんですよ。締め切りは過ぎちゃっているし……。
でも、トリックが思いつかないとか、どうしようもないときもあるんです……。

はじめての嘘

息子のズボンが濡れていたので、私が「あれ? おしっこ、出ちゃった?」と訊いたところ、こんな答えが返ってきた。

「おちゃ、こぼしちゃったの」

いや、これ、あきらかに、おしっこだよね?

「おちっこじゃないの。おちゃなの、さっき、おちゃ、こぼれたから」

あくまで、お茶だと言い張る二歳児。
いつのまに、こんな知恵を……。
教えてもいないのに、嘘でごまかそうとするなんて、その成長っぷりに感心してしまった。

さて、ここで、親としてはどう対応するべきなのか。
こんな見え見えの嘘にだまされては、息子に「ちょろいもんだぜ」となめられてしまうやもしれぬ。
嘘をつくことはよくない、と指導すべきところなのだろうか。こういうちいさな嘘を許していては、将来、嘘つきになってしまうかもしれない……などと心配したりもする。
しかし、嘘も方便であり、全面的に否定するものではないのではなかろうか。
そもそも、私、嘘というか、虚言というか、空想というか、絵空事というか、物語をでっちあげることを仕事にしているし!

息子はおむつを卒業して、パンツだということにプライドを持っている。だから、おもらしという事実を認めたくないのだろう。二歳児なりに矜持があり、それが、彼に嘘をつかせている。その気持ちをくんであげたい。

それに、本人がお茶をこぼしたと言っている以上、それを疑ってかかるというのも、信頼関係に響く。
なので、ここは、息子の嘘を暴き立てることはしないでおいた。

「そっか、お茶がこぼれちゃったんだ。ふうーん」

わざとらしい口調で、ニヤニヤ笑いながら、私は言う。
この時点で、嘘がばれていることは、息子にもわかっているようだった。

「お茶だったら、パンツはぬれてない?」

息子は気まずそうに苦笑いを浮かべて、こちらを見あげる。

「ぱんつもびしょびしょ……」
「いちおう、パンツもはきかえとく?」
「うん、はきかえる」

人生、ときには嘘も必要だし、見て見ぬふりをしてあげる優しさというものもある。

父親好き好き大作戦

父親をこわがるようになった息子。
ちまたでは、父親の権威を利用して、しつけのために「パパに叱ってもらうよ」と脅したりする場合もあるようだが、基本的に私は、恐怖によって従わせる教育は下策で、デメリットのほうが大きいと考えているので、その手はとらない。
父と子の関係修復のため、以下のような作戦に出た。

・父親がいないときにも、その存在をアピール
ダンナは帰ってくるのが遅いので、夕飯は私と息子のふたりで食べることが多い。
そんなときにも、さりげなく、ダンナの話をする。

「このあいだ、ととくんと、かあちゃんと、ダディさんと、三人でおでかけして、楽しかったねえ」
「だでぃさん、どこいった?」
「ダディさんは、いま、会社だよ」
「かいしゃ? なにしてる?」
「会社でお仕事してると思うよ」

「ととくん、それ、もう食べないの?」
「たべない」
「じゃあ、のこりは、ダディさんに食べてもらおっか」
「うん、だでぃさんに、あげる」

こうして、ダンナのテーブルには、食べさしのお菓子や残飯がそなえられることになる。

・母にはできなくても、父ならできることをアピール
牛乳パックで作ったおもちゃが壊れたときなど。
「あー、これ、とれちゃったねえ」
「ぺったん、して」
「かあちゃんにはできないわ。ダディさんなら、きっと、直してくれるよ」

おもちゃの電池が切れたときなど。
「あー、電池、なくなっちゃったねえ」
「あたらしいの、いれて」
「かあちゃんにはできないわ。ダディさんが帰ってきたら、やってもらおうか」

コップを重ねて、はずれなくなったときなど。
「あー、かたい、とれないわ」
「とれない?」
「うん、かあちゃんにはできない。ダディさんだったら、力持ちだからできるかもねえ」

その他、息子が「たかいたかい、して」とか「おすもうしよう!」とか言ったときにも、この手を使う。
別名「面倒くさいことはダンナに丸投げ作戦」である。

こうして、ダンナのテーブルには、壊れたおもちゃなどがそなえられることになる。

・休みの日には、とにかく息子と遊んでもらう
仕事で疲れているようだったので、つい、仏心を出して、ダンナが寝ていると「そっとしておいてあげようね」などと言って、息子とふたりで買い物に行ったりしていたのだが、それが彼らの貴重なコミュニケーションの時間を奪っていたのだ。なので、心を鬼にして、私は息子に言うことにした。
「ダディさん、まだ寝てるね。起こしちゃって」

・「良い警官、悪い警官」もしくは「泣いた赤鬼」作戦
私が息子に厳しくする。
「かあちゃん、こわい……。やさしいがいい……」
「怒ってるときは、優しくできません!」
「いや! こわいのいや!」
そこに、満を持して、ダンナが登場。
「ほら、おいで、ダディがだっこしてあげよう」

これらの策が功を奏して、ふたりの関係は良好なものとなり、もうすっかり息子はダンナにべったりである。

「だでぃさん、きてー」
「いっしょに! だでぃさん、いっしょに!」
「うんこでたよー、だでぃさん、ふいてー」

あまりに息子になつかれて、慕われて、まとわりつかれて、大変なので、ダンナは「こわがられているくらいがよかったよ」とぼやいている。

今日もお仕事がんばるよ

保育園に行く途中、ベビーカーを押しながら、息子と話す。

「今日も、ととくんが保育園のあいだ、かあちゃんはお仕事がんばるね」
「ねといてー」
「ええ、寝とくの? 寝ないよ。お仕事がんばるんだよ」
「ねといてよー」
「寝ないってば!」

そして、保育園からの帰り道。

「今日も、ととくんが保育園でがんばってくれたから、かあちゃんもお仕事がんばることができたよ」
「ねてた?」
「寝てないよ! ちゃんとお仕事してたよ!」
「ねてなかったの?」

寝てないっちゅうねん! ちゃんと仕事やってました!
まったく、失敬なやっちゃな。