なんでなんで攻撃

最近の息子の口癖は「なんで?」である。
いろんなことに対して、その理由をたずねてくる。

「なんで、ねるの?」
「夜だから」
「なんで、よるだと、ねるの?」
「夜は暗くて、なんにも見えないから、寝るしかないもの」
「なんで?」

「なんで、ごはん、たべるの?」
「おなかがすいたから」
「なんで、おなかすいたら、たべるの?」
「食べなかったら、もっと、おなかすいちゃうもん」
「なんで?」

あらゆることに対して、質問責めにされる。
こっちが当たり前に思っていることも、改めて問われると、答えにつまったりする。

「なんで、ほいくえん、いくの?」
「かあちゃんがお仕事しているから、ととくんは保育園行くんだよ」
「なんで、かあちゃん、おしごとするの?」
「したいから、お仕事するんだよ」
「なんで、おしごと、したいの?」
「お仕事、楽しいからだよ」
「なんで、おしごと、たのしいの?」
「お仕事が好きだからかなあ」
「なんで、おしごと、すきなの?」

こんな調子で、こちらの人生にあり方について考えせられるような質問をされたりするのも、心を揺さぶられて、地味にボディーブローとして効いてくる。
で、こちらに余裕がないときに、しつこく何度も何度も訊かれたりすると、つい、苛ついてしまう。

「あー、もう、うるさい! そんなん知らんよ! なんでなんでばっかり言わないで!」

こういう態度は、優しくないなあ、と反省している。

たぶん、息子が「なんで?」を連発するのも愛情欲求のあらわれで、理由や説明を求めているというよりも、コミュニケーションというか、会話の練習みたいなものだろう。
私が仕事に気を取られて、考え事をしていると、息子は「なんでなんで攻撃」によって、構ってもらおうとするのだ。
まともに取り合わずに「うーん、なんでやろうねえ」という感じで、うまくかわせばいいのかもしれない。しかし、根が真面目なので、できるだけ誠実に答えようとして、自縄自縛に陥る。

あと、仕事で、めいっぱい想像力を使っているから、ちょっと脳を休ませてくれ……というのも正直なところだ。
余力があれば「にんじんが赤いわけ」とか「ぞうの鼻はなぜ長いのか」みたいな感じで、おもしろい空想話のひとつでも語ってやれるのだが、そこまでのエネルギーが残っていない……。

子供とちゃんと向き合って、優しくできるかどうかというのは、自分の疲れ具合が如実に出てしまうものだ。
仕事は絶対に手を抜きたくないし、子育てもいましかできないし、ワークライフバランスが難しいなあと痛感する日々である。
とりあえず、原稿は完成しなかったけれど、今月はよくがんばったので、なにか、おいしものでも食べよう。

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保育園への葛藤

息子、朝ご飯を食べている途中に、くすんっくすんっと泣き出す。

「ええっ、ととくん、どうしたん? なんで泣いてるの?」
「ほいくえん、いきたくないの……」
「ああ、保育園な。保育園のこと、考えちゃったのか」
「いやなの。ずっとずっと、おうちにいたいの」
「そっかあ、おうちにいたいのね。はい、ご飯食べて。自分で食べる? 食べさせてほしい?」
「かあちゃん、たべさせて」
「ほら、あーん」

ここでのポイントは、「保育園に行くか、行かないか」という議論に持ち込まないところである。
彼の「うちにいたい」という思いは受け止めてあげるが、泣くのが可哀相だからといって、要望を叶えることはしない。
そして、朝食を済ませて、着替えをしていると、息子はしょんぼりとつぶやいた。

「ほいくえん、いきましょっか」

観念したような、なんとも、ちいさな声で、しかし、精一杯の気持ちをふりしぼっての言葉に、こちらも、ほろりときそうになる。
ベビーカーに乗っているときには、自分で自分を鼓舞するように、息子は言った。

「きょう、ほいくえんで、あさから、なかないよ」
「くるりんして、あーくしゅで、ばいばい、するの」

実際、保育園の教室に入ってからは「だっこ、だっこ~」としがみついていたものの、いざ、別れる段になると、くるりん(両手をつないで、私の体をかけのぼるようにして一回転)をしたあと、泣きべそかきながらも「ばいばい~」と手をふって、見送ってくれた。

うちにいたいという気持ちと、保育園でがんばりたいという気持ちの葛藤が、息子のなかにもあるらしく、なんとも健気である。

仕事と育児の両立を模索中

仕事が忙しいときにかぎって、子供は体調を崩すの法則。
むしろ、親の意識が仕事に向いてしまっているからこそ、子供は自分に構って欲しくて、体調を崩すのかもしれない。

・息子、保育園で朝から泣きまくり
四月から、息子の通う保育園の運営形態が変わり、これまでの保育士さんが全員いなくなってしまった。
あらかじめ「ももぐみさんのおっきいちゃんになったら、新しい先生になるよ。楽しみだね~」などと話していたので、はじめ数日は、息子も「なかないよ!」などと言って、気丈に振る舞っていたのである。
しかし、ある日、新しい保育士さんに叱られたらしく、それ以来、朝、家を出る前から「ほいくえん、いやだ、おうちがいい、ずっと、おうちにいる」とぐずるように……。
そして、保育園でバイバイするときには、私にしがみつくのを引き離すようにして、先生に渡して、涙涙の別れとなっている……。

・息子、結膜炎(たぶん)により、目やにだらけに
朝から「めんめ、みえない」と言う息子。目やにがかたまって、がぴがぴになって、毎朝、蒸しタオルでふかないと、目を開けられない状態になってしまっている。
目やにだらけのそのすがたは、弱っている野良猫みたいで、なんとも不憫である。

・息子、保育園と通院のストレスで、夜泣きをするように
これまでは、ほとんど夜泣きというものをしなかったのだが、アレルギーの検査やらなんやらで、この数週間、何度も病院に通うことになり、押さえつけられて採血をされたりで、息子はかなり恐怖を感じたらしく、このところ、夜中に泣きながら目を覚ますことが多い。
息子がぐずった時点で、背中をとんとんして「だいじょうぶだよ」と声をかけてあげると、またすぐに入眠できるようだが、こちらが眠っていてフォローできないと、大泣きに発展して、声をかけても聞こえないほどの興奮状態で発作のように泣きわめく、いわゆる、夜泣き状態となってしまう。

・私、仕事が思うように進まず、精神的に落ち込み
年に何度か「この世にはすでに素晴らしい本がたくさんあるのだから、いまさら、自分が書く必要なんてないんじゃなかろうか……」という気分に襲われるのだが、それが今回は「しかも、こんなに泣いている子供を預けてまで……」という思いも重なり、罪悪感にも苛まれ、なかなか浮上できず。
まあ、執筆がしんどいところに差し掛かってきたときに、そこから逃げたいための言い訳だっていうことは自覚しているのだが。

・私、睡眠不足により、体調悪化
体調がよくないせいで、メンタルも低下気味なのだとも言える。
息子の夜泣き→私の体調悪化→仕事が進まない→私の心に余裕がなくなる→時間の余裕もなくなる→息子に優しくできない→息子の心が満たされない→息子の夜泣きという、負のスパイラルに突入。
朝からダンナに息子を保育園に連れて行ってもらい、半日しっかり休んだおかげで、どうにか復活。

そんな感じでしたが、とりあえず、締め切りは一個クリア!
次回はお休みをもらえることになったので、あともうひとがんばりして、どうにか今月中にもうひとつの原稿にめどをつけ、GWには息子とゆっくり休みたいものである。

遺伝か、環境か

以前、息子といっしょに「子育て支援センター」によく通っていた。
おもちゃがたくさんあり、安全の確保された広々としたスペースで、子供を自由に遊ばせることができて、おなじく子育て中の保護者と話をするのも、いい気晴らしになった。

そこで、三歳か四歳くらいの兄弟と知り合い、年子なのかなと思っていたところ、双子だと知って、驚いたことがあった。
ひとりはぽっちゃり型で背も高く、もうひとりは痩せ型の小柄で、ちっともそっくりではなかったのだ。
彼らは、二卵性双生児だったのである。

おなじ家庭環境で育ち、おそらくはおなじ食事を出されているだろうに、遺伝子のちがいで、こんなにも体格に差が出るのか……と感動のようなものをおぼえた。

兄弟の付き添いとして、お祖父ちゃん(その子たちにとっては、母方の祖父)がいっしょに来ていたのだが、話を聞くと、生まれたときから性格もまったくちがっていたらしい。

「こっちは娘に似て、明るい性格やけど、こっちは婿はんに似て、すぐいじけよんのや」
「おんなじように育てても、全然ちゃうもんやで」

一卵性双生児の場合は基本的にほとんどおなじ遺伝情報を持っているが、二卵性双生児の場合だとふたつの卵子が同時期に受精したというだけで、いっしょに生まれてきても、年がちがう兄弟や姉妹とおなじ程度にしか似ないのだ。

そういえば、私の友達にも「男女の二卵性双生児」がいるが、性別が異なることもあって、ちがっていて当たり前、という感覚だった。

さて、子育てをするうえで「遺伝と環境」のどちらが影響が大きいか、というのは結構、気になったりする。
いわゆる「氏か育ちか」論争というやつであるが、それを調べるのに「双子研究」なるものがあり、べつべつの環境で離れて育った一卵性双生児について書かれた文献などは興味深く読んだ。

『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か』(NHK出版)スティーブン・ピンカー
『やわらかな遺伝子』(紀伊國屋書店)マット・リドレー
『子育ての大誤解 子供の性格を決定するのものは何か』(早川書房)ジュディス・リッチ・ハリス
といった本が特に面白くて、印象に残っている。

子供の成長や人格形成や問題行動について、親の「育て方のせい」なのか、子供の「持って生まれた素質」なのかというのは、容易に断定できるものではない。

なんでもかんでも「親の責任」にされてしまうと、子供を持つことへのハードルがあがるというか、まじめな親ほど必要以上にプレッシャーを感じてしまうように思える。

親がどのように接するかによって、子供の人生は影響を受けるだろう。
しかし、子供がどのように成長するかは、親の接し方だけでは決まらないのだ。

生まれ持った素質、遺伝子の個性というのは、あなどれないものである。
まったく似ていない双子ちゃんと出会ったことで、つくづくそう実感したのであった。

保育園の双子ちゃん

双子が好きである。
実際に育てるのは大変なのだろうなあと思うが、見ている分にはとても愛らしく、心がなごむ。
おそろいだったり、色違いの洋服を着て、ふたりで仲良くじゃれあっている双子ちゃんの可愛さは格別だ。

息子の保育園のクラスにも、そっくりな双子ちゃんがいて、お迎えに行くたびに、その可愛さに癒される。
毎日、送り迎えのときに顔を合わせているおかげで、双子ちゃんは私のことをおぼえてくれたらしい。
お迎えに行っても、息子は遊びに夢中で、教室に入ってきた私に気づかなかったりするときがある。そういうとき、双子ちゃんのひとりがいち早く「あっ!」と言って私のことを指さすと、息子のところへ「きみのママ、きたよ」と伝えるように行ってくれるのである。
その可愛らしいすがたに感激しながら、私は言う。

「だれのママか、わかるの? すごいね~」
「お迎え来たよって、教えてくれるんだね」
「ありがと~。えっと、カイくんかな? ハルくんかな?」

そう、双子ちゃんのうち、どちらがどちらなのか、私には見分けることができないのだ。
双子ちゃんのお母さんはもちろん、保育士さんも見分けがつくようなので、さすがである。息子もなんとなく、カイくんとハルくんのちがいをわかっているようだ。

双子の片方だけをぱっと見て判別できるというのは、親しさのバロメーターのような感じで、ちょっと憧れるものがあったりする。

【ネタバレ注意!】『豪華客船の爆弾魔事件』の裏話

絶賛発売中のお嬢様探偵ありすシリーズ第三弾『豪華客船の爆弾魔事件』について裏話なんぞを書こうかと思います。

もし、未読のかたで、まったく前知識なしで作品を楽しみたいという場合には、以下の文章はネタバレのおそれがありますので、ご注意くださいませ。

といっても、まあ、トリックをばらしちゃうわけじゃないので、そんなに気にすることもないとは思うのですが……。

 

 

 

 

 

 

というわけで、今回の『豪華客船の爆弾魔事件』には、双子が出てきます。

そこで、私のお気に入りの「双子トリック」について語るの巻です。

『マジックミラー』(講談社) 有栖川有栖
最初から双子モノとわかっていてもネタバレにならないミステリの名作です。
大学時代に、推理小説というものへの情熱に感銘を受けた思い出の作品です。

『殺しの双曲線』(講談社) 西村京太郎
「ノックスの十戒」をふまえて、きちんと冒頭で、メイントリックは双生児を利用したものですと宣言しています。
西村京太郎氏といえば、テレビドラマ化されている十津川警部シリーズでおなじみですが、この作品を読むと、推理小説作家としての心意気を感じます。

『悪童日記』(早川書房) アゴタ・クリストフ 堀茂樹訳
双子の「ぼくら」が、戦時下の自分たちの生活をノートに綴っていくという形式で、その簡素な文体がとても美しく、大好きな作品です。
この作品はミステリというジャンルではないのかもしれませんが、「あっと驚く結末」が待っていました。

「カザリとヨーコ」『ZOO』(集英社)に収録 乙一
双子トリックといえば、この作品も好きです。
乙一氏の作品は、薦めた時点でネタバレになるおそれがあるので、語りにくいです。

『ダブル/ダブル』(白水社) マイケル・リチャードソン編 柴田元幸、菅原克也訳
双子や分身をテーマにした小説を集めたアンソロジーです。
ここに収録されている「被告側の言い分」は、早川書房から出ているグレアム・グリーン全集13『二十一の短編』の「被告側証人」と原作はおなじなのですが、こうしてアンソロジーとして並べられると、またちがった印象を受けるので面白いです。
このアンソロジー自体が、実はある意味で「双子トリック」というか、架空の本の片割れという「仕掛け」になっているのが、編者あとがきを読むとわかって、痺れました。

というような感じで、双子というのは心惹かれるテーマで、自分でも「双子トリック」を使ってみたいものだと思っていたので、今回の『豪華客船の爆弾魔事件』で取り組んでみたのでした。