妊婦さんにおすすめミステリ

妊娠中の友達が、里帰り出産をするということで、宮崎に旅立つまえに会いに行き、欧米式に「出産前お祝い」を渡してきた。

自分が経験して痛感したのだが、産後は新生児の世話に追われて祝っているひまもないので、比較的余裕のある妊娠後期におめでとうパーティーをして、出産祝いも妊婦自身がリクエストするという、いわゆる「ベイビーシャワー」なるやり方は、非常に合理的だと思う。

そんなわけで、友達からのリクエストで「おすすめ育児書」と「妊娠中に気軽に読めるおすすめミステリ」を持って行くことにした。

育児書は、いろいろ迷ったのだが、四十年以上にわたって読み続けられていた古典的名著
『育児の百科』(岩波書店)松田道雄
に決めた。
私が愛読しているのは、ハードカバーのほうだけれども、絶版だったので、三冊に文庫化されたものを購入。

松田道雄氏の著作は
『私は赤ちゃん』 (岩波新書)
『私は二歳』 (岩波新書)
『おやじ対こども』(岩波新書)
の三冊も、読み物として面白く、大好きである。
残念ながら、こちらも絶版のようだが。

そして、ミステリだが、まず、妊婦さんが出てくるものとして思いついたのが、この作品である。

『赤ちゃんをさがせ』(東京創元社)青井夏海

自宅出産専門の助産師さんが、お産に行く先々で事件に巻きこまれるというミステリで、ほのぼのして、とても面白い。

けれども、ひとつ、ネックになったのは、最後に出産シーンがあるというところで……。
友達は初産だし、はじめての出産という大仕事に、それなりにプレッシャーや恐怖心を持っているだろうから、出産シーンが描かれているものは、どうしても、自分自身のことを想像して、気分転換にはならないかもしれないなあ、と考え、気をまわしすぎかとも思いつつ、このシリーズは今回は除外した。

でも、私は、妊娠中に読んで、すこぶる楽しめた作品である。
続編『赤ちゃんがいっぱい』も、早期教育とか、天才児のなれの果てとか、興味深い内容で、共感できた。

それから、妊婦ミステリといえばこの作品。

『バルーン・タウンの殺人』
(早川書房)松尾由美

人工子宮が一般化した世界で、それでもあえて母体での出産を望む女性たちが暮らすバルーンタウンという場所があり、そこで起きた事件(密室の謎あり、暗号あり)に妊婦探偵が挑むSFっぽいミステリで、この作品も大好きなのだが、殺人事件が起きるからなあ……と思って、念のため、やめておくことにした。

そういえば、クロスワードパズルには「病気」に関係する単語は使わないというのが、暗黙の了解になっているという話を聞いたことがある。入院中に楽しむひとが多いから……。

結局、妊娠中でも気楽に読めるミステリとして、選んだのがこちら。

『タルト・タタンの夢』(東京創元社)近藤史恵

下町の小さなフレンチ・レストランを舞台に、名探偵でもある名シェフが、絶品料理を提供しながら、お客さんの謎を解決するというミステリ。

件の友達は、料理関係の仕事をしていて、おいしいものが出てくる「グルメ+ミステリ」というのは、絶対によろこんでもらえる、と思ったのだ。

そしたら、なんと、『タルト・タタンの夢』は漫画化されていて、その『ビストロ・パ・マルの事件簿』という漫画の料理監修をしているのが、その友達の勤め先である辻調のグループ校だということが判明!

そんな縁もあり、趣味にあいそうな本を贈ることができて、よかったー。

というような感じで、プレゼントするために本を選ぶというのは、楽しいものです。

ちなみに、余談ですが、『赤ちゃんをさがせ』を楽しく読んだあとに、この本を担当したのが、拙作『ハルさん』(東京創元社)でお世話になった編集者K氏だと知ったときにも、縁だなあ、と思った。

そして、この編集者K氏は、私の大好きな『春期限定いちごタルト事件』(創元推理文庫)米澤穂信の担当でもあり、いつも新刊を送ってくださっていたのだが、あるとき、書店で『秋期限定栗きんとん事件』なる本が並んでいるのを発見した。

(あれ? 小市民シリーズの新作、出てるやん!)

どうして、今回は送っていただけなかったのだろう? 送っていただいたのに引っ越しのごたごたで届かなかったのか? それとも、担当が変わったのだろうか……? などと疑問に思って、訊いてみたところ、編集者K氏からは、こんなお答えが。

「ご妊娠中ということでしたので、今回は、内容が内容だけに、お送りするのを控えました」

そこまで配慮していただくとは、どれほど陰惨で血なまぐさい事件が起きたのかと思って、ドキドキしながら読んだ。
しかし、全然、むごたらしいような描写もないし……むしろ、高校生の微笑ましい恋愛もようが描かれ……気恥ずかしいような切ないような……いつも通りのテイストで……そこで、はっと、気づく。

ああ、妊婦に「火事」はタブーか。

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お菓子の家

日本の昔話は絵本があるのだが、世界の昔話は持っていないので、グリム童話やイソップ物語などは、私がうろ覚えの知識で、息子に語って聞かせている。

ある晩のこと、寝る前に『ヘンデルとグレーテル』のお話をすることになった。

「そこには、お菓子の家があったのです。なんと、お菓子の家は、お菓子で、できていました。まあ、なんて、おいしそう!」

そんなふうに語っていたところ、横からダンナが口を出す。

「そんなんじゃ、お菓子の家がどんなのか、全然わからないよ。あなた、仮にも作家でしょう? もっとディテールは?」

ぬう、余計なことを……。
そこまで言うならば、受けて立とうじゃないか!

「お菓子の家は、屋根がふわふわのスポンジで、真っ白なクリームがたっぷりかかっていて、壁はレンガではなく、チョコレートで作られていました。そして、窓を割ってみると、それはバリパリとした透明な甘い飴で……ええっと、それから……ととくんは、どんなお菓子が好き?」

お菓子のバリエーションに困り、息子に助けを求める。
すると、息子は目を輝かせて、答えた。

「せんべい!」

よりによって、せいんべいかよ!
渋いな……。

「そして、お菓子の家のおふとんは、せんべいで、できていたのです」

エンターテインメントノベル講座

一昨日の夜、創作サポートセンターが主催している「エンターテインメントノベル講座」で、講師を務めてきました。

内容は「童話、児童書、一般の小説」といった感じで、子供向けと大人向けの小説のちがい、デビューまでの道のりや創作方法、文章の上達に役立つテクニックなど、みっちり二時間、語りました。

もう六年目なので、慣れたものと思いきや、やっぱり、人前で話すのは、緊張する……。

このエンターテインメントノベル講座は、毎週土曜日の夜に行われているのですが、専任制ではなく、講師がたくさんいて、毎回、作家や編集者などが、さまざまなジャンルについて、それぞれのやり方を語るという方式で、私は主に「児童文学担当」というところです。

この講座、生徒さんにとって、いろんなやり方を勉強できたり、好きな作家の生の声を聞けるということで、とても好評で、わざわざ東京や名古屋から新幹線で通ってくるひともいるらしい。

私も、ほかの方が担当されている講義をいくつか拝聴したことがあるけれど、たしかに、このシステムはいいと思う。
たとえば、作家によって「プロットを書かない派」でどうやって小説を書いているのかという方法を語る先生もいれば、きっちりと「プロットを書く派」のやり方を教えてくれる先生もいて、自分に合った方法を見つけることができる。専任制だと、その講師と自分の創作スタンスが合わないと、つらいものがあるし。

生徒さんのレベルもさまざまで、ミステリ志望だったり、ライトノベル志望だったりと、すでに狙っている賞があるひともいれば、漠然と小説を書いてみたいなあと思って受講しているひともいたりするのだが、自分があまり興味のないジャンルの作家が講師のときでも、だからこそ、知らない世界の話が聞けて、面白かったり、勉強になるようだ。

そして、教える側にとっても、毎週、講座をするのは正直しんどいけれど、まあ、年に一回くらいなら……というので、引き受けやすい。
実際、売れっ子の作家であればあるほど、講座なんかするよりも、その時間に原稿を書いているほうが有意義というか、講師というのはあまり割のいい仕事ではなかったりする。
なので、こういう講師の仕事というのは、第一線を退いた作家が「後進を育てる」といった使命感でやることが多いけれども、このエンターテインメントノベル講座は、年一回、出講するという形にしているので、現役のプロ作家を講師として招くことが可能になっているのだと思う。

それに、教える内容も、ほかの先生がいることで、ミステリの構造や伏線の張り方についてはあの先生、リーダビリティの高い文章の書き方についてはあの先生、ホラーの書き方についてはあの先生、キャラクターの萌え分析についてはあの先生が教えてくれるので、自分はこれだけ話せばいいだろう、と気が楽なところがある。

あと、毎年、この講座を担当していて思うのは、社会人が多く、ほとんどのひとが自腹で受講料を支払っているだけあって、熱意があるということで、教える方としても、やりがいを感じるのだ。

この講座の実績は、卒業生が続々、デビューしたり、小説賞の最終選考に残っていることからもわかる。
特に、ある生徒さんが児童文学作家を目指しているというので、いろいろとアドバイスをしたところ、「百年の蝶」という作品で、見事、ジュニア冒険大賞を受賞して、自分の後輩としてデビューしたのは、本当にうれしかった! 深月ともみさん、おめでとう!

まあ、言ってみれば、ライバルを育てているわけでもあるのだけれども、私は「小説」というものが好きで、素晴らしい小説が書かれるのなら、それが自分の作品じゃなくてもうれしいというか、業界全体がどんどん盛りあがっていくことを願っているので、役に立ちそうな「知識」は共有していきたいなあという気持ちがあったりする。

創作サポートセンター
http://www.sousaku-s.jp/

敬称について

先日の文章中で「担当編集者M女史」と書いたが、この表記は、もしかしたら、一部のひとにとって気に障るものかもしれない、との指摘を受けた。

気になって、調べてみたところ、こんな記事を見つける。

1997年5月に刊行された共同通信社『記者ハンドブック第8版』に、性差別表現についてのガイドライン(基準)が初めて以下のように示されました。

・女流→固有名詞以外は使わない
・女史→○○○○さん
・[注]女傑、女丈夫、女だてらに、女の戦い―など女性を強調する表現はなるべく使わない。同一場面では男女の敬称をそろえるよう努める。

なるほど……。記者と作家では、立場はちがうとはいえ、考えさせられる。
表記された本人自身はまったく気にしなくても、そうはいかないのが、こういう問題の難しいところだ。

そういうわけで「ポリティカル・コレクトネス」と「言論の自由」について、しばし考える。

ポリティカル・コレクトネスとは、人種・宗教・性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いること。米国で、差別や偏見のない表現は政治的に妥当である、という意味で使われるようになった。黒人をアフリカ系アメリカ人、メリークリスマスをハッピーホリデーズ、ビジネスマンをビジネスパーソンと表現する。日本語でも、看護婦・看護士を看護師、保母を保育士などと表現するように改められたことが、これに相当する。言葉の問題にとどまらず、社会から偏見や差別をなくすことを意味する場合もある。政治的妥当性。PC。(『大辞泉』より)

ちなみに、ウィキペディアの説明にあった以下の文章も参考になる。

なお、ポリティカル・コレクトネスは、「その対象に対して、どのように述べ、考え、行動するのが“私にとって”政治的に正しいのか」というような意味で用いられる事もある(大元の意味はこちらであった)。これは決して「差別も偏見もなく、ニュートラルな」という意味ではない。

それらをふまえた上で、もう一度、件の表記について、考えてみよう。

「担当編集者M氏」
この場合、大半のひとが、男性をイメージしてしまうんじゃないかという気がする。
自分のなかでも、編集者が男性の場合には「氏」で、女性の場合には「女史」という使い分けが、漠然とあった。

しかし、氏という敬称は、必ずしも男性に使われるとは限らない。相手が女性の場合でも、作家だったりすると、名前に「氏」をつけることが多い。私の場合、そこには同胞意識が働いているのだと思う。

「~氏」という呼び方が、なんとなく「客観視できるほどの距離を置きつつ、親しみが込められているような感じ」がするのは、たぶん、オタク文化圏の感覚というか、『まんが道』とかでトキワ荘の仲間たちが「赤塚氏」「石森氏」などと呼び合っていたのが元になっているのではなかろうか。

「担当編集者Mさん」
ガイドラインに従うなら、これが無難なのだろう。
ただ、職業婦人のめずらしかった時代ならいざ知らず、現代において、この編集者が男性である確率と女性である確率は半々くらいである。なので、「さん付け」の場合、性別が特定しにくいという難点がある。
たとえば「担当である女性編集者Mさん」とする方法もあるが、これはこれでわざとらしい感じがしてしまう。

「担当編集者M」
イニシャルであっても、呼び捨ての場合、どうしても尊大な感じがして、気が引ける。
敬称をつけないというのは、とても近しい関係で気心の知れた遠慮の要らない相手だという証の場合もあり、対極的な使われ方もするので、なかなか気軽には用いにくい。

ちなみに、呼び捨てには、相手の価値を認めてパブリックな存在として扱っている場合もある。
作家にとっては、最高の敬称は「呼び捨て」だ、と考えることもできるわけで。

こんなふうに表記について迷うというのは、私が「自分の文体」を確立していない証拠なのだろうなあ、と思い至る。
文体が固まっていれば、おのずと、言葉は選ばれるものである。

手元にある新明解国語辞典(第三版)によると【女史】には「気性の勝った女性をからかい気味に言うときにも用いられる。」と説明されているので、このあたりのニュアンスから、使いようによっては、かちんと来るというのはわかる。

ただ、今回の文脈では、性別がわかったほうが読者に伝わるものも多い。
そんなこんなで、やっぱり、今回の場合、「担当編集者M女史」が、もっとも、しっくりくるので、元のままにしておく。

連載WEB小説『ぼくの嘘』が更新されています

講談社「YA! ENTERTAINMENT」のサイトにて連載中の『ぼくの嘘』第二十一話がupされています。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/ya-enter/novels/#uso

また告知をうっかり忘れていて、前回から四話分も進んでしまいました。

ちなみに、原稿を読んだ担当編集者M女史の感想をピックアップ。

「全部実話じゃないだろうか、と思えてきます」
「見事ですね、こんなに短いのに、唸ってしまう面白さです」
「この連載はなんだか、毎回いろんな種類の勉強になります」
「中高生のうちから、こういう複雑な物の見方を教えてもらえるなんて、藤野さんの読者はラッキーですよね」

主人公である笹川くんの「オタク高校生っぷり」は、我ながらリアルに書けていて、共感してもらえるんじゃないかなあと思うのですが、問題は、おそらく現役オタ男子高校生は電撃文庫などのライトノベルを読み、YAというジャンルにはあまり興味を持たないのではないかというところで……。

もちろん、この物語はフィクションであり、実在する人物、団体とは一切、無関係です。

『ペンギンの飼い方』

いま、書いている小説に、ペンギンが出てくるので、その資料として『ペンギンの飼い方』(組立通信)福信行を読んだ。

この本、なんと、書籍の付録として「生シシャモ」がついてくるのである。
最近の「本の付録」って、トートパックとか、お弁当箱とか、どんどん豪華になるなあと思っていたが、ついに、シシャモまで!
書店では扱えない本ということで、クール宅急便で送られてくる。
ご興味を持った方は、大阪市中央卸売市場「鮭のさんつね」さんまでお問い合わせを。

そんなわけで、『ペンギンの飼い方』によると、海遊館のペンギンたちは、エサとして、オスのシシャモを食べているらしい。メスの子持ちシシャモだと、ペンギンにとっては栄養過多になってしまうので、あまり流通されていないオスのシシャモがエサとして使われているのだ。シシャモといっても、北海道の本物のやつではなく、カペリンなんだけれども。
海遊館のペンギンのうち、オウサマペンギンだけは、シシャモにくわえて、アジやホッケも食べさせてもらえるそうな。さすが、オウサマ。

『ペンギン、日本人と出会う』(文藝春秋)川端裕人も、「へえ~」と思うような雑学がいっぱいで、楽しかった。
ニューヨークの動物園のひといわく「日本では動物の人気投票をすると、ペンギンがベスト10に必ず入るというけれど、アメリカでは考えられない」とか。
サンスターは、ライバル大手が「ライオン」なので、それに対抗するべく、キャラクターを考え、ペンギンに決めたとか。
世界最大のペーパー・バック出版社「ペンギン・ブックス」の創業者が、現代作家の作品が安く読めるシリーズのために「威厳があり、軽々しい」マスコットを探して、彼の秘書が思いついたのがペンギンだったとか。
南極でアデリーペンギンに尺八を吹いて聞かせる探検隊のひとの図とか。
捕鯨オリンピックとペンギンの関係も、意外だった。戦後、南氷洋捕鯨が再開されたことで、捕鯨船がペンギンを持ち帰るようになり、戦時中に飼育していた動物の多くを失った動物園にとって、寄付されたペンギンは救世主となり、広く人気が出るきっかけとなったらしい。
(そういえば、西原理恵子氏の著作でも、高知には漁師さんの持ち帰った野良ペンギンがいたと書かれていたような……)

『ペンギンの歩く街』(ポプラ社)藤原幸一も、写真がいっぱいで、可愛かった。
南アフリカ・サイモンズタウン。この街では、タイトルの通り、ひとが暮らす横をふつうにペンギンが歩いている。野良猫みたいな感じで、庭先にペンギンがいたりするのだ。
ただ、この写真集も、可愛いだけじゃなく、オイルまみれになったペンギンのすがたなどもあり、いろいろと考えさせられる内容になっていた。人間が利益を求めるせいで、タンカー事故によるオイルが海に流れ、環境が汚染されて、ペンギンは住むところを追われているとか……。

あと、ちょうど、ペンギンについて調べていたときに、都立葛西臨海水族園から逃げたフンボルトペンギンが、無事に保護されたというニュースを編集者から教えてもらい、「脱走ペンギン、野生生活でマッチョ化していた!」という煽りに、笑ってしまった。

ペンギン、知れば知るほど、可愛く、面白い。もっと、いろいろ読みたくなる。

ちなみに、執筆中の物語のなかで、ペンギンの扱いはまったくメインではなく、出てくるシーンなんて、ほんの2~3ページほどしかないのである。しかし、そうであっても、いちおう、資料を読んでおかないと気が済まない。
しかも、天王寺動物園に行き、実物も見てきた。まあ、動物園は、取材が半分、息子とおでかけ半分という感じではあるが。

たった数十行のために、何冊も資料を読むのは、仕事の効率が悪いなあ、と思う。
そんなことをしているから、いつまでたっても、原稿が仕上がらないのだ。

でも、資料を読むのが、好きなのである。
小説の役に立ちそうだと思うと、ついつい、手が伸びてしまう。
作家によっては、自分の世界に没頭したいからほかの本を読まない派、まず一通り資料を読んで書き始めたあとには読まない派など、いろいろあるようだが、私は執筆と平行して、なにかしら本を読んでいないと落ちつかない。

書いているうちに、この資料も読んでおこう、これについても調べたい……となって、どんどん、読みたい本が増えていく。
そして、あとから考えると、べつに読まなくても書けたな……というものが大半だったりするのだが、それでも、いつか書く話のネタになるかもしれないので、無駄じゃない……はず。

『まんが日本昔ばなし』

最近、息子が読んで欲しがる絵本のうちでヘビーローテーションなのが『まんが日本昔ばなし』(講談社)である。

そう、かつてアニメとして放送されていた作品を絵本にしたものである。
私も幼少期にこのアニメが好きだったので、でんでん太鼓を持った男の子が龍に乗って飛んでくるオープニングや、エンディングの「にんげんっていいな」という曲に、めちゃくちゃ懐かしさを感じる。この絵本には、オープニング曲やエンディング曲だけでなく、声をあてていた市原悦子氏と常田富士男氏の語りが収録されたCDもセットになっている。

これを出産祝いでいただいたとき、私はこう思った。

よし、このCDをかけておけば、読み聞かせをしなくてすむぞ、と。

あにはからんや、息子はまったくCDから聞こえてくる声に興味を持たず、ひたすら、私に「読んでくれ」とねだるのである。

私が読むより、CDの語りのほうが何倍も上手なのに……。
方言風の独特の語り口にはとても雰囲気があるし、おじいさん役もおばさん役もうさぎ役もたぬき役も、ひとりですべて演じて、自在に声を使い分けているのだからすごい。
しかし、子供というものは、どんなに達者な読み聞かせよりも、つたなくてもいいから、信頼できる身近なひとの生の声を求めるものらしい。

いまのところ、息子のお気に入りベスト3は以下である。
『つるのおんがえし』
『ねずみのすもう』
『かさじぞう』

そして、今日もまた、息子は言う。

「ごほん、よんで」
「いいよー。ひとつだけ読んだら、寝ようね。どれにする?」

すると、しばらく考えたあと、息子は答えた。

「むかーしむかしのごほん」

いや、ここにある話、ぜんぶ、そのイントロではじまるから。